スキーマのやっかいなクセ

前回までのお話はコチラ→【変化に対応した脳の柔軟さ】

前回コーチから質問がありましたね。『変なクセがついてる、変なクセとして自動化されている選手をどうしたらよいのか』ということでした。

もちろん、どのようなクセがついているのかは人によって様々です。何が正しいことで何が悪いことなのかも周りの環境によって違います。

「一般的にってことですよ。野球ならこういうスイングが効率よくて、こういうスイングは無駄があるなど・・・」

たとえば家に入るとき、アメリカでは靴を履いたまま入るのは行儀のよいことです。でも、日本ではそういうわけにはいきません。なんて常識のないヤツだ、と煙たがられてしまいます。アメリカの野球と日本の野球でも違いますね。

「もちろんそれは理解しているつもりです」

『クセ(癖)』とコーチはおっしゃいましたね。実はスキーマにもちょっとしたクセがあります。これからそのクセについてお話していこうと思います。このスキーマのクセが、コーチの疑問の助けとなるかもしれません。

では、はじめましょう。

これは何について書かれているのか当ててみてください。

その手順は全く簡単である。まず、ものをいくつかのグループに分ける。もちろん、ひとまとめでもよいが、それはやらなければならないものの量による。もし設備がないためにどこかよそに行かなければならない場合には、それが次の段階となる。そうでない場合は、準備はかなりよく整ったことになる。重要なことはやりすぎないことである。すなわち、1度に多すぎるよりも少なすぎる方がよい。この重要性はすぐにはわからないかもしれないが、めんどうなことはすぐに起こりやすいのだ。その上失敗は高価なものにつく。最初は、その全体の手順は複雑に思えるかもしれない。しかし、すぐにそれは生活のほんの一面になるであろう。近い将来この仕事の必要性がなくなることは予想しにくいが、誰も何とも言えない。その手順がすべて終わったあとで、ものを再びいくつかのグループに分けて整理する。次にそれらは適当な場所にしまわれる。結局、それらは再び使用され、その全体のサイクルは繰り返されることになる。とにかくも、それは生活の一部である。


「・・・・」

「日常生活での何かの作業・・・・?」

これはみなさんがよく知っていることです。このことに関するスキーマをすでに持っています。なのにこれが何の作業のことを言っているのか分からないのですね。

「だってこんなに小難しい文章で書かれているから・・・」

文章を理解するためには、ただ言葉を読めるだけでは十分ではありません。言葉の辞書的な意味や文法を知っているだけでは、意味を十分に理解することはできません。

わたしたちはスキーマがあるおかげで、文章を理解することができるのでしたね。これは『スクリプト』を説明するときにお話しました。スキーマをもとに推論することができるのです。

文章を理解するためのガイド役として、スキーマが働いてくれるのです。

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「ガイドしてくれるっていっても、この文章の理解には何のガイドにもなっていませんよ」

そうですね。そもそも、ガイド役(道案内人)そのものが見つかっていないのですから。

では、答えを言ってしまいましょう。ガイド役を紹介します。

答えは『洗濯』です。

ガイドが見つかった上で、もう一度読み返してみましょう。

その手順は全く簡単である。まず、ものをいくつかのグループに分ける。もちろん、ひとまとめでもよいが、それはやらなければならないものの量による。もし設備がないためにどこかよそに行かなければならない場合には、それが次の段階となる。そうでない場合は、準備はかなりよく整ったことになる。重要なことはやりすぎないことである。すなわち、1度に多すぎるよりも少なすぎる方がよい。この重要性はすぐにはわからないかもしれないが、めんどうなことはすぐに起こりやすいのだ。その上失敗は高価なものにつく。最初は、その全体の手順は複雑に思えるかもしれない。しかし、すぐにそれは生活のほんの一面になるであろう。近い将来この仕事の必要性がなくなることは予想しにくいが、誰も何とも言えない。その手順がすべて終わったあとで、ものを再びいくつかのグループに分けて整理する。次にそれらは適当な場所にしまわれる。結局、それらは再び使用され、その全体のサイクルは繰り返されることになる。とにかくも、それは生活の一部である。


「はいはい、やっと理解できました」

「さっきと同じ文章を読んでいる気がしないです」

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今度はうまくガイドしてくれたようですね。答えを知る前は、脳の中から適切なスキーマを検索することができなかったようです。適切なスキーマにアクセスすることができなかった。ですから、合致するスキーマ(洗濯スキーマ)がうまく活性化されなかったわけです。

ガイド役が見つかりさえすれば、全く違う文章のようにすんなりと理解することができましたね。

これは、心理学者であるブランスフォード氏とジョンソン氏が実際に行った実験です。実験では、この文章のタイトルが『洗濯』であると、あらかじめ情報を与えられたグループと、何も情報を与えられなかったグループに分けられました。この2つのグループで文章の理解度を比べてみたわけです。結果はお話するまでもありませんね。

「ガイドがいるのかいないのかでは全然違いますもんね」

しかしこのガイドは、いつも適切に案内してくれるわけではありません。

「新人ガイドって感じ?(笑)」

ちょっと強引なところがあると言えるでしょうか。

こんなおもしろい実験があります。

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数名の心理学者が、実験のために精神病院へ潜入しました。もちろんそのままでは病院へ入れてもらえません。そこで、『どこからともなくひとの声が聞こえる』とウソの症状を訴えて、それぞれ別の精神病院へ入院したのです。

これは、ローゼンハン(Rosenhan)がおこなった『偽精神病患者の実験』です。

入院した後は、心理学者たちは正常な振る舞いをしました。そして本当のことを打ち明けます。実は心理学実験のために、わざとウソをついて入院した心理学者なのだと。

この後どうなったと思いますか?

「それはめちゃくちゃ怒られるでしょう!」

怒られて、すぐに退院させられるのが普通だと考えますね。でも、そんなことは起こりませんでした。

約3週間くらい、彼らは退院することがでなかったのです。

「え?どうして?」

彼らの訴えを、医師たちは典型的な妄想の一種だとは診断したためです。心理学実験のために患者のフリをしたということ自体が、妄想だと思われてしまったのです。本当のことをいくら説明してもなかなか信じてもらえない。一度入院した後で、自分たちが病人ではないと信じてもらうことはきわめて困難なことでした。

「ウケますね(笑)」

どうしてこのような結果になってしまったのでしょうか。

それは、ガイドの仕業(しわざ)です。『精神病患者の症状』スキーマが医師たちのガイド役となったためです。

「でも、『なんだウソだったのか』って切り替えることはできないものでしょうか?」

わたしたちはスキーマに照らして世の中を認識しています。スキーマはとても役に立つガイドというわけです。役に立つというよりも、不可欠なと言えるでしょう。わたしたちはスキーマをあらゆる場面で活用しながら生きているのですから。

先ほども言いましたが、このすばらしいガイドはちょっと強引なところがあります。

「強引って?」

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自分の専門分野の枠内に留めようとしてしまうのです。

「どういうこと?」

医師たちに働いたのは『精神病患者の症状』スキーマでしたね。スキーマとは、知識の枠組み(まとまり)です。この枠組みがそれぞれのガイドの専門分野となります。

「じゃあ、自分の専門分野以外はしらねーよ!って感じですか?」

ガイドは自分の専門分野の枠組みの中で物事を判断しようとしてしまいます。スキーマのパターン内で生まれる期待に合うように再構成しようとしてしまうのです。

「だからウソだったのかって、簡単に切り替えることができなかったんですね。強引なガイドってそういうことだったんですか」

ちなみにこの実験では、偽患者だとすぐに気づいた(疑った)人たちがいます。誰だと思いますか?

「医者以外の人たち」

そう、周りの患者は偽患者だと気づいていました。医師と周りの患者では、違うガイド役を通して偽患者(心理学者)を見ていたのですから。

「違ったスキーマが働いたんですね。そしてそれぞれのスキーマの枠の中で心理学者を見た」

さて、今回お話したスキーマのクセについては、実は今までもお話してきました。それまでと違い、今みなさんには『スキーマ(について)のスキーマ』があります。そのうえで、もう一度今までの話を読みなおして欲しいと思います。

こちらに今までのお話の記録があります。お渡ししておきましょう。

講義記録→【変化に対応した脳の柔軟さ】

きっと、今回読んでいただいた『洗濯の文章』のように、今ではすんなり理解できるかもしれませんよ。

『知っている』ことと『できる』こと

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前回の最後に、コーチから質問を受けました。『バットを振る、ボールを投げるといった運動もスキーマに含まれるのか?』ということでしたね。

「やはり野球を指導している立場として、このことが一番気になりますので」

もちろんそうでしょうね。結論から言うと、このような知識もスキーマ化されています。

「こういう運動も知識なんですか・・・」

では、わたしたちの脳の中には、バットを振るという一連の動作が、どのような知識として整理されているのでしょうか?

『知っている』ことと『できること』は違いますよね?

「はい・・・そうでしょうね。ちょっと質問の意図が分からないですけど・・・」

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野球の本を読んだだけでも、『バッティング(バットを振る)』という知識を得ることができますね。そして『バッティング』について説明することもできるようになります。

「ああ、これだけでバッティングスキーマができてきますね」

すでにバッティングを『知っている』ことになります。

ただ、この『知っている』知識は、コーチが言っていることとは違いますよね。

「はい。もちろん」

コーチが言っている知識は、バッティングを『知っている』ということではなくて、バッティングが『できる』ということです。

「この2つを区別しなければいけないということ?」

本を読むことで、すぐにバッティングの知識を得ることはできます。だからといって、バッティングそのものができるようになるわけではありません。バッティングが上達するわけでもありません。

『知っていること』と『できること』は違うのです。

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本を読むことで得た知識、『知っている』知識は、『宣言的知識』と言われてます。

「宣言できる知識ってこと?」

そう。言葉で説明できる知識です。たとえば『AはBである』というような命題の形で表現のできるものです。

『パソコンは機械である』『クジラは哺乳類である』

社会で習った事柄や人名、数学の公式、辞書で記述されているような知識は、すべて宣言的知識です。

「学校で習うことは全部、宣言的知識ですね。体育以外」

「体育でもテストに出るような宣言的知識もあるんじゃない?」

「じゃあ、ペーパーテストに出るような知識を宣言的知識って言う方がいいかな」

テストに出題するということは、言語にしなくてはいけません。そして意味の分かるものでなくてはいけませんね。宣言的知識は『意味の分かる』知識とも言えるでしょう。

一方、『できる』知識は練習なしでは身に付きません。反復することによって得られる知識です。このような知識を『手続き的知識』と言います。

「手続きっていうと・・・どういうことだ?」

『やり方』とも言えるでしょうか。手続きや動作、技能(スキル)として身に付けている知識のことですね。

『ピアノを弾く』『自転車に乗る』『ワープロの文字入力』

手続き的知識は、宣言的知識と違い、言語化することが難しくなります。

「どうしてですか?自転車の乗り方なんて言葉で説明できますよ。ピアノの弾き方も。そうしないと教えることなんてできません」

うん・・・そうですね。バッティングを教えるときには言葉で説明します。でも・・・

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では、日本語の『は』と『が』の違いについて説明していただけませんか?

「はい?話がズレていませんか?」

大丈夫ですよ。『は』と『が』の違いをお願いします。

「そう言われても・・・普段何気なく使ってるからなあ・・」

わたしたち日本人は、普段『は』と『が』をうまく使い分けています。特に考えることなく、当り前のように使い分けています。

、山田です。
、山田です。

でも、外国人に日本語を教えるとしたらどうでしょうか?『は』と『が』の違いをうまく説明しなくてはなりません。実際に『は』と『が』の違いの分からないアメリカ人は多いようです。

説明するとしたら、

『は』は副助詞で・・・。『が』は格助詞で・・・。

と宣言的知識で説明することになります。

「ああ、そうか!バッティングの説明を始めたら、本に書いてあることと同じになりますもんね。これは宣言的知識だ」

ただ、ここではこの2つの知識を完璧に分けることを目的としているわけではありません。実際に、技能(スキル)を習得する際には、宣言的知識も手続き的知識も両方必要になりますから。

それよりも、その特徴を理解することの方が大切です。

「じゃあ、簡単に区別できればいいんですね。宣言的知識は言葉で宣言できるもの、手続き的知識は言葉で・・・いや、考えなくてもできるもの・・・でいいですか?」

そう。手続き的知識は、意識せずに自然とできます。試行の反復によって、技能(スキル)が『自動化』されるのです。

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自動化されると、どんなよいことがあるでしょう?

「自動でできるんだから、反応が早い!」

それから?

「あとは・・・繰り返し練習して身に付けたものだから、正確にできる」

いいですね。コーチは何かありますか?

「忘れにくいというのもあると思います。小さい時にキャッチボールをしていれば、大きくなってからもボールを投げるというスキルは覚えているものです。自転車もそう。数年乗っていなかったとしても、いざ乗ってみると案外乗れてしまうものです」

忘れにくい。そうですね。手続き的知識は、宣言的知識よりもずっと記憶が長続きします。高校の時に覚えた勉強は、時間の経過とともに忘れられてしまいますね。でも、子供の頃に習った泳ぎ方は、大人になっても忘れないでしょう。

「でも、覚えるのには時間がかかりますよね。手続き的知識は反復練習が必要ですから。学校の勉強はがんばればすぐに暗記できてしまいます」

「俺はテスト前、いつも一夜漬けだったし(笑)」

手続き的知識は、ゆっくりと作り上げられていきます。試行を繰り返すことで少しずつ学習されていくものです。

その代わり、自動化されるので、素早く、ある程度正確に『できる』知識となります。

赤信号なら止まる!

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こんな身を守る大切なことも、考えることなしに、素早く、自動的に行うことができるのです。

要するに、努力がいらないということです。

『バットを振る』という一連の動作が自動化されている知識であるならば、脳がそれを記憶するための容量はほんの少しですんでしまいます。脳の負担を大幅に減らすことができます。

「脳ががんばらなくてもいいってことですね」

「脳は倹約家でしたもんね」

赤を見たら、止まる。
ボールが向かってきたから、バットを振る。

手続き的知識を取り出せば、無意識のうちにそのスキルを発揮することができます。脳はがんばる必要がありません。その分、より複雑で高度な作業をすることにその努力を向けることができます。

ランナーの状況を見て、わざとに空振りする

こんなこともできるかもしれません。

「自動化されるってことはいいことばかりではないですよね。悪いことも自動化されてしまっていることがあります。変なクセが付いている選手を指導するのはなかなか大変なことになってしまうんですよ。そのことについてはどうお考えですか?」

次回はそのことも含めて進めていきましょう。

脳のなかにあるシナリオ

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さあ、始めましょう。

突然ですが、タカシ君、朝起きたらまず何をしますか?

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「え〜と・・・まずは携帯のメールチェックをしますね」

「いきなりメールチェックか。俺は寝起き悪いから目覚ましとの格闘からはじまるよ」

それから?家を出るまでの一連の流れを教えてください。

「メールチェックのあとは・・・テレビをつけます。それから・・・洗面所に行って顔を洗う・・・そしてご飯を食べる。そのあとは歯を磨いて、トイレに行って、その日の講義の準備をしてから出かけます」

いつもこんな感じですか?

「はい。寝坊したときには、ご飯を抜くこともありますけど」

@メールチェックAテレビを付けるB顔を洗うC朝食D歯磨きEトイレに行くF講義の準備。これがタカシ君の『朝の支度スキーマ』ですね。

このスキーマがあるおかげで、毎朝起きてから『まず、何をしようか。次に何をするんだっけ?』なんていちいち考える必要がなくなります。

「こういう順番みたいなのもスキーマなんですか?」

このようなスキーマがなければ日常生活をおくるのも一苦労です。

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『お風呂に入る』という当たり前のことを考えてみましょう。

もし、入浴という手順的なスキーマがなければどうなるでしょうか?

裸になって湯船に浸かろうとしたらお湯が入っていない。お風呂から上がって着替えようとしたら、着替えを準備していなかった。バスタオルを準備していなかった。あれ?そもそも服を脱いでいなかった。なんてことが頻繁に起こってしまいます。いや、もしスキーマがなければ入浴という行為自体が成り立たないかもしれません。

「そうですよね。お風呂に入るときはまずお湯を入れて、着替えとバスタオルを準備して、15分くらいしたらお湯がちょうどよくなるからそれくらいに服を脱いで、まずお湯を体にかけて少し温めてから湯船に入る。それから頭と体を洗ってって、そういうシナリオが考えなくても自然にありますよね」

「体を洗う順番なんかも人によって決まっているよね。僕はまず右足から洗うけど、手から洗う人とか背中から洗う人とか。こんなことも当たり前のようにやるから、ほとんど考えていないよな〜」

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シナリオ。いい言葉が出てきましたね。わたしたちの脳の中には、このような手順がまとめられたシナリオがあるようですね。日常生活を場面とした『物語』。その『台本化』されたものがあります。買い物に行く、レストランで食事をする、講義を受ける、仕事をする、食事を作る、パソコンを打つ・・・など様々な台本が用意されています。これがなければ、今のような当り前の日常生活はおくることができないでしょう。

「この台本みたいなものがスキーマとしてあるってことか」

「ドラマ『僕の歩く道』での輝明には、このスキーマがないから、掃除したり、リンゴを切ったりすることを具体的に説明しないとできなかったんですね。そうだ!輝明はリンゴを正確に2pで切っていましたよね。僕たちの脳は正確よりも効率化をとったからもっと大まかでした。そこも違うこところですね」

このように、シナリオのような形で行動のパターンが脳の中に定着されている知識構造のことを『スクリプト』といいます。

「スクリプト?」

スクリプト 【script】 、『台本』という意味です。

「スキーマとは違うのですか?」

混乱をまねくかもしれないので、スクリプトという言葉は出さないでおこうと思っていました。でも、想像していたよりも理解が早かったものですから。

スクリプトという概念は、コンピュータに文章を理解させる研究の中で到達したものです。『コンピュータに認知的理解のレベルでの理解をさせること』、これがシャンクの研究目標でありました。認知的情報処理システムというコンピュータプログラムですね。

もういちど『僕の歩く道』での掃除の場面を思い出してみましょう。

【先輩】 これで(ホウキ)ここの掃除をしてください。


こう言われて頭をひねる人はほとんどいないでしょう。あまりにも当たり前のことですからね。『ホウキを使って、このあたりにある落ち葉を掃いてきれいにすればいいんだな』とすぐに理解できるでしょう。ですから、先輩もこのような簡単な言い方しかしなかったはずです。

でも、輝明には理解できませんでした。コンピュータにも理解できないはずです。文章としては欠落している部分が多いですから。

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どうすればコンピュータに理解してもらえるのでしょうか?

「え〜???」

「コンピュータにも僕たちの頭のなかにあるような台本があればいいんじゃないでしょうか」

そうですね。あらかじめ『掃除』というスクリプトをコンピュータに組み込んでおけばいいのです。

「そうか。そうすれば輝明にしたように具体的に説明する必要もなくなるよな」

シャンクは『レストランで食事をする』という行為でスクリプトを説明しています。

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テーブル、メニュー、料理、勘定書、お金という『道具』が出てくる。客、ウエイトレス、コック、会計係り、経営者が『登場人物』である。客が空腹、客がお金を持っていることが『参加条件』で、『結果』として客のお金が減る、経営者が儲ける、客は空腹でないとなる。そしてどのような『行動』をとるのか。客がレストランに入る、客がテーブルを探す、客が座る、客がメニューを見る、ウエイトレスが注文を聞きにくる・・・・といった台本をコンピュータにプログラムしておく。

このようなスクリプトをあらかじめ用意しておけば、コンピュータが文脈を補うことができます。足りない部分を補って理解することができるようになります。

文章を要約したり、またはより詳しい文章に置き換えたりすることもできるようになるわけです。もちろん人間の脳がスクリプトを利用するのと同じようにコンピュータがするのには、まだまだ問題点も多くあります。わたしたちの脳のスクリプト利用が、より複雑でダイナミックであるからです。ここではこれ以上は触れないでおこうと思います。

話が長くなりましたが、スクリプトはスキーマの一種だと考えてください。スクリプトとは、手順といった時間的前後関係によるスキーマともいえるでしょう。

「じゃあ、スクリプトという言葉は覚えなくてもいいんだ。スキーマだけで十分ですよね」

まあ、いいでしょう。でも、台本のようなスキーマがあることは理解してください。

「ということは、僕たちが普段当り前のように会話できるのもスキーマやスクリプトのおかげなんですね。輝明の脳には、スキーマがうまく作られていないということなのか」

スキーマが足りない文脈を補ってくれなければ、話を理解することができません。会話を理解することも、本を理解することも、テレビを見て理解することも、すべてスキーマなしでは成り立ちません。

「あ〜、だから輝明はいつも短い3行の手紙を書くんですね。『今日は動物園に行きました』とかって。これくらいの短い文章しか理解できないのか」

わたしたが当り前のように日常生活をおくれるのは、スキーマのおかげなのです。わたしたちの認知や行動は、すでに持っているスキーマやスクリプトがガイド役となって実行されているのです。

「最後にひとつ質問してもいいでしょうか?手順のようなスキーマには、運動も入るのですか?ボールを投げるとかバットを振るとか自転車に乗るとか、そういうことも含まれているのでしょうか?」

そのことは次回お話しましょう。今日はもう十分だと思いますから。

その判断はスキーマにあった!

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前回は、脳の中で情報がどのようにおさめられているのかをお話しました。どのような形で『記憶』されているのかということです。

「スキーマという単位で記憶されているんでしたよね」

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そう。バラバラに保存されているのではなく、まとめて整理されているのでした。それをどのように整理するのかというのが、抽象化でしたね。

「共通の特徴を抽出してグループに分ける・・・でしたよね」

類似性や意味的な関連性などに基づいてまとめて整理されるわけです。このようなまとまり、一定の枠組みのことを『スキーマ』とよびました。

わたしたちは脳の中に、一定のまとまりという形で情報を整理して保存します。独立して保存されているのではなく、ネットワークの形として保存されているのです。

「ネットワーク!なんだかかっこいいですね」

簡単に言うと『結びつき』ですね。以前にもお話したと思いますが、脳の最も驚くべき特徴は、『つながりを作る』ことにありますから。

さて、わたしたちの脳の中には、すでに様々なスキーマが存在しています。仕事スキーマ、卒業式スキーマ、かわいい人スキーマ、お母さんスキーマ、教師スキーマ、歯磨きスキーマ・・・。

「好きな異性のタイプスキーマなんてのもありですね」

「自分に対してのスキーマもあるんですか?」

そうですね。それは『自己スキーマ』と言われています。スキーマをいくつかの類型に分けて説明されている文献もありますが、今はここには触れないでおこうと思います。

この絵を見てください。

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これは何をしている場面でしょうか?

「何をって・・・タクシーを拾っているところですか?」

こんなバカげた質問を・・・と思ったでしょう。でも、わたしたちに『タクシースキーマ』がなければ、これが何をしているところなのか訳が分からなくなってしまいます。ただ手を上げて伸びをしているのか、友達に合図しているのか、風で飛んだ何かをつかもうとしているのか・・・。

「教室でするように、『ハイッ』と手を挙げて意見を言おうとしているのかもしれませんしね(笑)」

それも学校で授業中に『意見を言うときは手を挙げる』という経験からスキーマが作られなければ成立しませんね。そのようなスキーマがなければ、『なんでコイツは授業中に手を挙げているんだろう?』と思われてしまいます。

タクシーを止めるときは、道路に向かってタクシーの方を見ながら手を挙げる。すると空いているタクシーが自分の横に止まってくれる。わたしたちの中にこのような共通したスキーマがなければ、周りの人から不思議がられ、タクシーも止まってはくれません。しかもこれは日本でのタクシースキーマにすぎません。海外でも同じ手を挙げるジェスチャーが通じるとは限らないのです。

海外ではどうするのでしょうね。

「日本と同じように手を挙げれば止まってくれる国もあれば、指パッチンをしながら自分の方に向けるジェスチャーで止める国もあるそうですよ。知人から聞いた話なので正確かどうか分かりませんけど」

「日本でやれば、ルー大柴のモノマネって思われますね(笑)」

・・・次に、こちらの絵を見てください。

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この男の人はどんな人だと思いますか?

「ビジネスマン。しかも仕事がデキル!キャリア組って感じ」

「そんな感じだね。出世組。勝ち組のシンボルかな」

ここでも『仕事がデキル人スキーマ』が働いていますね。もちろん、ほんとうに出世組なのかどうかは分かりません。でも、スーツをビシッと着こなしている、髪をビシッと整えている、視線が上を向き、胸を張って自信があるような姿勢。これが仕事のデキルビジネスマンの枠組みとなっているのでしょう。

この絵を見て、『オタクな人』だとか『浮浪者』とは思う人はほとんどいませんね。脳の中にそれぞれのスキーマがあるからです。

『お花が大好きな女性』からはどんな人をイメージしますか?

「やさしい人!」

「親切な人」

悪人だとは思いにくいですよね。『料理の得意な女性、肉じゃがが得意な女性』からは?

「家庭的でやさしい人」

では、ヒッチハイクをしているとイメージしてください。とても車通りの少ない道路なので、数時間がんばっているのですがなかなか止まってくれません。冬なので寒さも限界です。そこに一台の車がせまってきました。さあ、どうしますか?

「そりゃあ意地でも止めてみせますよ」

よくその車を見てみると、黒い高級車のようで、車高も低く改造されています。ガラスもスモーク張りのようです。

「やっぱりやめるかも・・・」

どうして?

「コワイ人が乗っているかもしれないじゃないですか!ヤクザだったら最悪ですよ」

「これもコワイ人スキーマがあるから、このいう判断をするんですね」

どのように判断するのかは人それぞれスキーマによって違ってきます。

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コンパに参加したとしましょう。

その中に、とても美しい女性がいたとします。誰から見てもモテるタイプです。周への気遣いもよく、空いたグラスにはすぐにビールを注いだり、料理も取り分けてくれます。

このような女性がいたら、積極的にアプローチしますか?

「顔よし、性格もよしならもちろんがんばりますよ」

「僕はちょっと無理かもな・・・」

2人の判断が分かれましたね。タカシ君はどうして無理だと思ったのですか?

「そこまで美人だと自分には無理だと思ってしまうんですよ。どうせだめろうって。拒否されて周りからバカにされるのも嫌だし」

美人に対する一般的なスキーマというのがあります。多くの人から見て美しいと思えるような女性。でもそれと一緒に、『自分とは釣り合わない』『相手にされない』『周りの友達もそう思っている』などということもスキーマに含まれています。過去に美人にひどく振られた悲しい経験や気持ちなどもあるかもしれません。

前回の最後に質問がありましたよね。辞書に書いてある『心理的な枠組みや認知的な構え』っていうのはどういうことなんだろうって。スキーマとは、ただ一般的な知識のまとまりというだけではありません。

「知識と一緒にそれに対する感情なんかも含まれているってことなんですね」

スキーマとはもっと広い枠組みだと考えてください。

スキーマとは、脳の中に保存されている知識の枠組みだけでなく、心理的な枠組みや物事の判断の枠組みでもあります。あらゆる情報のプロセスがスキーマに依存しているのです。

危ないことだから避ける、怖いから言うことを聞く、楽しいから遊ぶ、仕事だからさぼらない。わたしたちの判断や行動は、スキーマによって導き出されます

「うん。だんだんスキーマの意味が広がってきました。僕たちは今スキーマのスキーマを作りつつあるんですね」

スキーマスキーマですか(笑)。今回はこれくらいにしておきますが、次回はもっとスキーマスキーマを広げていきましょう。

「今日は連想ゲームみたいでしたね」

連想・・・そうですね。連想の原理というのは、記憶システムの基本的な原理であると言えるでしょうね。

まとめて整理する脳

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『抽象的』の意味はもう分かってきましたか?

「はい。かなり分かってきたと思います。でもいったいいつから抽象的の話になってきたんでしょう。記憶の話はしばらく出てきてないですよね」

「僕の歩く道の話になってからだよ。都古ちゃんが『抽象的な話はさけてください』って言ったところから」

たしかに最近は『記憶』という言葉の登場が少なくなりましたね。でも、全く関係ない話をしていたわけではありませんよ。むしろ『記憶』の仕組みそのものの話をしていたのです。

「そうだったんですか・・・。話が逸れていたのかと思いました」

今回は『記憶』を中心とした話をしていきましょう。その前に今までの話を簡単にまとめておきます。

わたしたちの世界には膨大な量の情報があります。わたしたちはこの莫大なものをひとつひとつ処理していくわけではありませんでした。

「単純化するんですよね」

そう。素早く、効率よく処理していくために、ものごとを単純化して処理しようとします。倹約家である脳は、できるだけ簡単な方法を選びます。

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目的地への道のりにハードルがあったらどうするでしょうか?

「陸上選手のように飛び越える(笑)?」

わざわざそのハードルをひとつひとつ飛び越える必要はありませんよね。ただ疲れるだけですから(笑)。時間もかかってしまいます。そんなハードルは10個くらいまとめてくっ付けて、一気に飛び越せばいいのです。

「その方法が抽象化、グループ分けってことなんですね」

「それならわざわざ飛び越えないで、ハードルの横を歩けばいいんですよ」

そりゃそうですけど・・・。これはあまりよい例えではありませんでしたね・・・。

時間的な制約にも縛られているわたしたちの脳は、完璧であること、正確であることを選びませんでした。そのかわり、おおまかではあっても素早く効率のよい方法を選んだのです。それが『抽象化』です。正確な答えを得ることよりも近似的な答えを得ることを選択したのです。

これが脳の選択です。

「そういえば、『爆笑問題のニッポンの教養』の話のときにも、視覚はだいたい合っていればOKって感じで働いているって言ってましたよね」

よく覚えていましたね。もう一度繰り返しておきましょう。

人が物を見る際、コンピュータのような凄い高速処理が出来ているわけではない。パッと見て、大体正しければOKという視覚のメカニズムが働いている。最新のパソコンであれば、1,000,000,000回/秒の演算処理が可能だが、脳はせいぜい1,000回/秒程度。そこで脳は目から得た特定の手がかりを基に、単純化した図形として捕らえるトリックを使っている。


「今話して頂いたまとめと同じことを言っていますね」

「なんだ。じゃあ僕みたいにテキトウな性格も悪いわけじゃないのか。脳そのものがテキトウなんだから。テストだってそうですよね。大体正しければオッケーでいいですよね(笑)」

「最初の方で記憶はあいまいで歪んでしまうという話をしてくれたのはこういうことだったんですね。脳は単純にして記憶するから、おおまかな記憶になってしまうんですね」

そう、分かってきましたね。記憶に関しても同じことです。単純、スピード、効率化を求める同じ脳がおこなっていることですから。

もういちど、カウンセラーが輝明に言った言葉を思い出しましょう。

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多くの人はたいてい『寒い』をあったと答えてしまいます。

どうしてですか?

雪・冬・南極など『寒い』に置き換えながら記憶しているからです。
でも、輝明さんの場合、言葉通りに記憶しているようです。


言葉通りに記憶しているのではなく、何かに置き換えながら記憶している。もうこの意味が分かってきませんか?

「そういうことなんですね。『寒い』というグループの中に雪、冬、南極を入れて記憶している。こういうことですよね?」

分かってきましたね。

「あ、なるほど!」

今回は新しい言葉をひとつ覚えてもらいたいと思います。

『スキーマ』という言葉です。

「スキーマ?また抽象化のように難しい意味ですか?」

いえいえ、すぐに理解できるはずです。みなさんにはすでにその土台ができていますから。

さっそく、辞書で調べてみましょう。

スキーマ 【schema】
(1)データベースで,論理構造や物理構造を定めた仕様。
(2)新しい経験をする際に,過去の経験に基づいて作られた心理的な枠組みや認知的な構えの総称。   【goo辞書より】


「どういうこと?」

これでは分かりにくいですね。『スキーマ』とは、過去の経験の記憶が脳の中にどのように処理されているのかをあらわしています。

脳の中に『引き出し』があるとイメージしてください。

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先ほどの例で考えてみると、『寒い』という引出しの中に『雪』『冬』『南極』がしまわれていることになります。

「それって抽象化そのものじゃないですか」

そうですね。言い方をかえると、スキーマとは抽象化された知識構造と言えます。

「辞書に書いてある『枠組み』っていうのが、『引き出し』と同じ意味なんですね。ってことは、グループ化されたものってことになるのか」

そう、グループ化された単位として脳の中にしまいこまれているのです。このように、抽象化されたひとつひとつの『引き出し』のことを『スキーマ』といいます。

例えば、ある書類を探すとき・・・病院で患者のカルテを探すことにしましょう。カルテをバラバラに引き出しにしまわれていたとしたらどうなるでしょうか?

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「全部の引き出しを開けて、端から端まで探さないといけない」

これでは効率的ではありません。長い時間患者を待たせてしまうことになります。そうならないために抽象化するのです。

『あ行』の患者はこの引き出し、『は行』の患者はこの引き出しと決められています。住所録もそうですよね。アイウエオ順に並べられているだけでなく、『高校の友達』『親戚』『中学の友達』『バイト仲間』など自由なグループ分けをして記録できるはずです。

「パソコンのフォルダもそうですね」

「そっか〜。スキーマっていうから、はじめは『スキマ』・・・何かの『間』にあるようなものってイメージしていました(笑)」

参考までに、『スキーマ』とは心理学者バートレットが用いた認知心理学用語です。語源はギリシャ語からきているようで、【schema】は『図式』と訳されます。

「ところで、辞書に書いてある『心理的な枠組みや認知的な構え』っていうのはどういう意味なんですか?」

次回もっと詳しく『スキーマ』について考えてみましょう。輝明がうまく会話ができないのも、このスキーマが影響していると考えられます。

「そうだったんだ」

このことも次回考えてみましょう。


脳はまじめな倹約家

前回までのお話はコチラ→【変化に対応した脳の柔軟さ】

わたしたちは世界を単純に認識しようとしている・・・。

前回はみなさんに書店の店長になっていただいて、『抽象的』に考えることの意味を理解していただきました。繰り返します。

書店には膨大な量の本があります。それらをただ漠然と並べていては、お客さんを集めることなんてできません。なぜですか?

「どこに何があるのか分からないから」

そう。たとえばお客さんに「○○○○という本がありますか?」と聞かれたとします。その本を見つけるまでにいったいどれほどの時間がかかってしまうでしょうか。こんなことが起きないために、店長としてどうしなければいけなかったのですか?

「ジャンルごとに分けて並べる」

共通の特徴を抜き出し、グループに分けて並べ替えることをしました。これが『抽象化』ということでしたね。

では、『抽象化』とは何のためにするのですか?

「それは今言ったように、分かりやすくするためとか、素早く見つけることができるようにするため」

他には?

「相手に伝えやすくするためでしたよね」

どうして『分かりやすく』なったり、『素早く見つける』ことができたり、『伝えやすく』なったりするのでしょうか?

「グループ分けしたから・・・じゃないんですか?」

前回、血液型占いのお話をしましたよね。これは1億人以上いる日本人ひとりひとりに合った複雑な性格分析ではなかったはずです。

「ああ、単純に4つのグループに分けて考えた?」

そう。単純に考えるために『抽象化』をおこなうのです。

「じゃあ、抽象化とは単純化ということですね」

こういう式で表すと分かりやすいと思います。

抽象化 = グループに分ける = 単純化

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わたしたちは世界を単純化して認識しようとします。こんな例は日常にたくさんあります。

昨日はどれくらい寝ましたか?

「僕に聞いているんですか?」

そうですよ。

「8時間かな」

これも単純化ですね。

「なんで?」

わたしたちは時間もおおまかに捉えます。「何時間寝ましたか?」と質問したわけではないのに、8時間と答えました。本当は7時間20分かもしれないし、8時間12分かもしれません。にもかかわらず、『分単位』では答えませんでしたね。このように『時間単位』に分けて単純化しています。

「たしかに、睡眠時間は?と聞かれて6時間25分です!って答える人はいないですよね。それより、聞いた方もそんな細かい答えを求めていません」

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待ち合わせに相手を遅らせない方法を聞いたことがありますか?

「いいえ」

「あれですよね。待ち合わせ時間を7時に設定するよりも6時45分とか、分単位に設定した方がよい、というのですよね」

これはもうどういう理由なのか説明するまでもありませんね。

他に『単純化』の例はありませんか?

「レジの中のお金の分類はどうでしょう?」

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「それは、1万円、5000円、1000円、500円、100円・・・・と十分に細かく分かれてるよ」

「でも旧千円札も新千円札も同じ千円札のグループに入れるから、これも単純化だと思うよ」

そうですね。これも単純化の例と考えることができます。もっと具体的に考えてみると、製造年別に分けることもできます。もっというとどのお客さんからもらったお金なのかとして分けることもできます。でも、わたしたちはそんな複雑になるような考えはしません。単純に100円は100円のグループに、古くても新しくても男性からもらっても女性からもらっても同じところに入れます。そうやって単純化することで、レジでのお金の出し入れを効率的に行うことができます。スピード化を図ることができるのです。

「そっか〜。そういえば自分のサイフではまた違った分け方をすることがあります」

どういうふうに?

「基本的にはお札と硬貨で分けているんですが、使ってはいけないお金・・・とっておかないといけないお金は別のところに入れています。そうしないといつの間にか使ってしまったりすることがあるので(笑)」

家計を任されている主婦などはよくそういうふうに管理していますね。光熱費、食費、ローン、教育費、おこずかいなど、使い道によってグループ分けがされることが多いです。レジでのお金の分け方とは違いますね。

「思ったんですけど、片付けのできない人は抽象的な考えが苦手な人なのかもしれませんね」

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そういう一面もあるでしょうね。どのようにグループ分けしたり、単純化するのかがはっきりしていない。そのために、机の上が書類の山になってしまったり、サイフの中身がぐちゃぐちゃだったりすることもあるでしょう。中には違ったこともあります。周りから見るとめちゃくちゃなデスクが、本人にとってはしっかりと分類されていて、効率的に仕事をこなしている人もいますね(笑)。こればかりは本人にしかわからないのかもしれませんね。

片付けばかりではなく、勉強にも『抽象化』をうまく利用することができます。もっと効率的に勉強をすることができますよ。

「それはめちゃくちゃ興味あります(笑)!単元ごとに分けてしっかり覚えていくとか?」

いきなり難しそうな、でも詳しく書かれているような分厚い参考書を開くのではうまくいきません。はじめからそんな具体的なことは必要ないのです。なぜなら、わたしたちには世界を単純化して認識しようとする性質があるのですからです。

大切なところなのでもう一度繰り返します。

人は世界を単純化して認識する

これは人間の性質なのです。

その性質に合わせて勉強していく必要があります。まずは全体像が分かるようなやさしい本を読む。マンガでも十分です。まずは単純化された大きなグループから。そして徐々に小さいグループに入っていく。

「はじめから細かいことをやっていくのは非効率なんですね。でも具体的なことをやっている方が勉強した気になるんですよね。それがいけないんだな〜」

「たしかに難しいことを勉強しているほうが、やった気になるよね」

地図の説明でも同じです。人は抽象化、単純化を求めているはずなのに、いきなり具体的なところから説明してしまう人がいます。

「地図の具体的な説明って?」

言葉が悪かったですね。道を尋ねられた場合の説明です。『市民病院はどこですか?』と聞かれたとき、いきなりこんな説明をしてしまいます。

『この道をまっすぐに行って、信号3つ目を右に曲がってください。右に曲がってまっすぐに走っていると左手にコンビニがあります。その交差点を左に曲がって、線路を越えたら次の信号で左に曲がってください。すると右手に病院が見えてきます』

この説明で病院がどのあたりにあるのかイメージできますか?

「これはちょっと無理かな(笑)。せめて簡単な地図を書いてもらわないと」

しっかりと具体的に教えてあげているのですが、どうも相手には伝わらないようです。まずは抽象的な説明が必要です。先に大まかなイメージを与えます。

市民病院なら、こっちの方角に車で15分くらい走れば着きますよ。まずはこの道をまっすぐに行って、信号3つ目を・・・・』

これならどうでしょう。まずは病院がどのあたりにあるのかが単純にイメージできたと思います。具体的な説明は、そのあとにすればいいのです。

「そうか〜。いきなり具体的な説明をするのは、ゴルフのうんちくを長々と語りながら教えるオヤジみたいですね(笑)」

わたしたちのまわりには、常に膨大な量の情報であふれています。これをそのまま処理していては、とてつもなく無駄な時間とエネルギーを消費してしまうだけです。そのために、人は単純化しようとします。おおまかであっても、素早くエネルギーを節約することができる抽象化を求める傾向があるのです。

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言ってみれば、わたしたちの脳は倹約家なのです。

「倹約家というよりも怠け者かもしれませんよ。人間は楽を求める生き物ですから(笑)」

そうとも言えますね(笑)。

具体的な本屋はつぶれる?

前回までのお話はコチラ→【変化に対応した脳の柔軟さ】

今回は『抽象的』という言葉の理解を深めることからでした。

今までの話から分かったことがありますね。ドラマ『僕の歩く道』から、輝明におこなったテストでカウンセラーが言った言葉です。もう一度繰り返してみましょう。

多くの人はたいてい『寒い』をあったと答えてしまいます。

どうしてですか?

雪・冬・南極など『寒い』に置き換えながら記憶しているからです。
でも、輝明さんの場合、言葉通りに記憶しているようです。


わたしたちは言葉をそのまま記憶しているのではなく、何かに置き換えながら記憶しているということでした。

もうひとつは、辞書で『抽象的』という言葉を調べてみました。このように書いてありましたね。

いくつかの事物に共通なものを抜き出して、それを一般化して考えるさま。「本質を―にとらえる」
2 頭の中だけで考えていて、具体性に欠けるさま。「―で、わかりにくい文章」           (Yahoo!辞書より)


『一般化』という部分に注意が向きやすいのですが、この部分にも注意を向けてください。『いくつかの物事に共通なものを抜き出して』という部分です。

今分かっているヒントは、

@何かに置き換えている

A共通なものを抜き出している

この2つです。では、もっと具体的な話で理解を深めていきましょう。

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書店に本を買いに行きます。

「今からですか?」

いやいや、イメージだけで結構です(笑)。何万冊と置いてある本が、ただ雑然と並んでいたらどうでしょう。選びずらいですよね。もしこんな書店があればすぐにつぶれてしまいます。

「そりゃそうですよね。どこに何があるかわからないんですから」

今からみなさんがこのつぶれかけた書店の店長です。まずはこの雑然とした本をどのように並べ替えますか?

「まずはジャンルごとに本を分けます」

ジャンルとは?

「雑誌、小説、エッセイ、スポーツ、実用書、ビジネス、写真集・・・とか大きなまとまりです」

そうですね。まずはお客さんが、欲しい本、気になっている本がフロアのどこにあるのか分かりやすく『グループ分け』する必要があります。他には何をしますか?

「分けたものをさらに細かくジャンル分けします。たとえば雑誌でも、車関連、スポーツ、情報誌、女性誌、男性誌・・・などのように」

「もっと作者別に並べたり、あいうえお順にしたりすると選びやすくなります」

だんだん人気書店に近づいてきました。まずは大きなグループに分けました。そこからさらに小さいグループに分けることで、どこに何があるのかを簡単に伝えることができます。つまり抽象化とはこういうことです。

「グループ分けするってこと?」

そう、簡単に言ってしまうとそういうことです。でも、どんな分け方でもいいって訳にはいきません。お客さんに伝わるようにしないと人気の書店にはなれませんね。

「てきとうに分けたわけじゃないですよ。小説とか雑誌とか、分かりやすいようにジャンル分けしました」

分かっていますよ。しっかりと『考え』てグループに分けていますね。このようなグループに分けるときの「考え」は、『概念』とよばれています。

さて、『抽象的』の意味が少しずつ分かってきましたね。『もっと具体的な提案をしなさい!』などと否定的な意味で捉えられてしまう『抽象的』の意味ですが、書店の場合、『具体的』ではお客さんから逃げられてしまいます。具体的では、どこに何があるのか分からないのですから。

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「だから抽象化、グループ分けが必要になるんですね」

店長さん、もっと繁盛するために他には何をしますか?

「あれはどうでしょう?ランキング。人気ランキングで、お店の目立つ場所に陳列する」

「よくやっているよね。売れ筋ランキングコーナーとか、新刊コーナーとか」

ちょっと待ってください!たとえば『○○営業術』という本があったとします。これは営業の本ですから、『ビジネス書』というジャンルに並べられていますね。この本は『ビジネス書』というグループだったわけです。でもこの本はすごく売れている本だから、人気ランキングコーナーに陳列してもっと目立たせて売っていこうということになるわけですね。店長さん。

「そうです。その方が多くのお客さんの目にとまるし、今どんな本が売れているのかが一発で分かります」

その戦略はとてもすばらしいのですが、今度はグループが変わってしまいますね。今までは『ビジネス書』というグループ、今度からは『人気ランキング』というグループになってしまいます。

「別にに問題はないんじゃないですか。両方のジャンルに並べてもいいし」

いえいえ、問題はないですよ。ただ、ここで気づいてほしいことがあります。抽象化とは、グループに分けることだというのはすでにお話しましたね。この『グループに分ける』ということをもっと深く考えてほしいのです。

「どういうこと?」

『○○営業術』という本には、いくつかの性質があります。ビジネス書であり、人気ランキングに入る本であり、○○という有名な作者が書いた本であり、店長がおすすめする本であるなど、様々な性質があります。分かりますよね。

「はい」

抽象化する、グループに分けるということは、いくつかの性質の中の『ある1つの部分』に注目してグループ分けをしているということなのです。ある部分に注目すると『ビジネス書』というグループに分けられ、また違う部分に注目すると『人気ランキング』というグループに分けられるというように、グループがころころと変わってしまいます。

「ということは、ある部分の性質に注目すると、他の性質はカットされてしまうことになるんですね」

少し言い方を変えると、抽象化とは、ある性質だけを『抽出』してグループにまとめるということです。

「そうか、これがヒントAの『共通なものを抜き出している』ってことなんですね」

占いは好きですか?

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「それほどでも・・・。どうしたんですか?急に」

占いというのも抽象化の典型です。ところでコーチは何型ですか?

「わたしはA型です」

アベ君は?

「B型!」

タカシ君は?

「僕もA型です」

アベ君に聞きます。浅田コーチとタカシ君は性格が似ていますか?

「え〜、似てないと思いますよ」

わたしもそう思います。でも、人間を血液型でA・B・O・ABと4つのグループに分けて性格を分析すると、個人個人では「あ〜当たってる〜」となるわけです。面白いとおもいませんか?

「なるほど〜。そうか、コーチとタカシを比べて見たときは似てるなんて思わなかったけど、A型独特の几帳面さという部分で見ると、似てるかもってなりそうです」

今度は『生まれた月』という12個のグループに分けて占ってみるとどうでしょう。タカシ君は何月生まれですか?

「7月です」

コーチは?

「3月です」

『血液型』では同じグループだったのに、今度は違うグループになってしまいました。

「今度は2人の似ていない性格が浮かび上がってくるというわけか」

そう。抽象化とは、いくつかある性質の中から、ある一つの性質にだけ注目してグループ分けされたものですから。生年月日で占うとまた違ったグループに分けられ、六星占術で占うとまた違ったグループに分けられてしまいます。

「そんなにグループが変わってしまうなら、占いなんて意味がないですよね」

そうでしょうか。それは占いが抽象的なものではなく、もっともっと具体的なものであればいいということですよね。もっとひとりひとりにあった細かいグループ分けがあればいいと。

「まあ、そういうことになってしまうのかな?」

でも、もし占いがよりひとりひとりに合うような、具体的過ぎるものであれば、何億というパターンを用意しておかなければなりません。『血液型』では、4つのパターンだけで済むのにです。

「そうか。そんなにパターンがあったら1冊の本にだってまとまりませんよね。何万冊もの占い本になってしまう(笑)」

それに、占い師もいなくなってしまいます。そんなにたくさんのパターンを覚えることなんてできませんから(笑)。

「よく考えればそうですよね・・・。抽象化ってすごいんですね」

ただその占いが当たるのか当たらないのかということよりも、どのような側面で抽象化された場合に、自分にはこういう性質が見えてくるということを理解することの方が大切なのかもしれません。

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「そうですよね。たとえば野球で相手チームを分析するとき、このチームは『打撃のチーム』だ、このチームは『守備のチーム』だと抽象的に判断したとします。でもほんとうは、そのチームの一部分の特徴を抜き出したにすぎないのですね。違う部分を見れば『打撃のチーム』が『守備のチーム』になってしまったりするわけだ。もちろん他の人が分析すれば、また違った性質を抜き出すのかもしれません。いくつかの占いを使い分けるように、多方面から分析しないといけませんね」

誰から見ても『打撃のチーム』だと抽象化してしまうようなチームでも、その中には打撃が苦手な人はいるものです。守備の方が得意だとする人もいます。抽象的に考えるということは、そういう人もすべてひとつの枠におさめて、『打撃のチーム』だと考えることなのです。

「じゃあ、誤解を生む原因にもなるんですね」

今回は少し長くなってしまいました。抽象的に考えることの意味、そして長所と短所が少しずつ見えてきたところで、続きは次回にお話したいと思います。

言葉をそのまま理解しないのが常識?

前回までのお話はコチラ→【変化に対応した脳の柔軟さ】

言葉通りに記憶しても、何の役にも立たないかもしれない・・・。

浅田コーチ、『僕の歩く道』のDVDはご覧になりましたか?

「3話まで見終わりました。都古ちゃんにはまりそうです(笑)」

前回は、その都古ちゃんの言葉までお話しましたね。もう一度この言葉を確認しましょう。

会話は具体的にお願いします。抽象的な会話は、さけてください


都古ちゃんの口からこの言葉が出てきた場面にはどのようなものがありましたか?

「え〜と、テルが動物園で働き始めたとき、飼育係の先輩からホウキを使って掃除をしてくれと指導を受けた場面がありましたよね。しばらくして先輩が戻ってくると、テルはその場からまったく動いていませんでした。もちろん掃除もしていませんでした。こんな場面を覚えています」

では、今回もDVDを見ながら一緒に考えていきたいと思います。まずは、その先輩飼育係りが輝明に掃除を頼む場面から見ましょうか。

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【先輩】 これで(ホウキ)ここの掃除をしてください。僕はエサの準備をしてきますから。

・・・・・しばらくしてからもどってくる・・・・・

・・・・松田先生(都古ちゃん)を呼んでくる・・・


【先輩】 掃除を頼んだんだけど何もしないでズーッと立ったままなんだよ。

【都古】 あっ!?どうやって掃除をたのんだんですか?

【先輩】 ホウキを渡して、ここを掃除してくださいって・・・

【都古】 どうやって掃除をしたらいいのか分からないんだと思います

【先輩】 は?掃くだけなんだけど。

【都古】 どこからどこまでどういう手順で掃くのか、具体的に教えてください。どんなことでも会話は具体的にお願いします。抽象的な会話は避けてください

【先輩】 抽象的な会話って?

【都古】 たとえば・・・「最近どう?」って聞いても、彼は答えられませんから。

・・・・ホウキの掃き方を説明してからしばらくして・・・・

・・・・また、松田先生(都古ちゃん)を呼んでくる・・・・

【先輩】 とっくにきれいになっているんだけど、ず〜っとやっているんだけど

【都古】 あっ!?どうしたら終わっていいんだかを言ってあげてください。たとえば一往復したら終わっていいだとか。言わないと2時間でも3時間でもず〜っと続けると思います。

【先輩】 はあ・・・・


「何だか笑ってしまうような会話ですよね。テルは当たり前のこと、常識が理解できないんでしたね」

「先輩の疲れる気持ちが分かります。これではコミュニケーションをとるのが大変ですもんね」

当り前のこと、常識って何なのでしょうね?でも、具体的に指示さえすれば、輝明はたいていのことができてしまいます。

「だから具体的に言わなくても相手の言いたいことを理解できるのが、当たり前ってことじゃないですか」

では、他の場面も見てみましょう。今度は、先輩からリンゴの切り方の指導を受ける場面です。

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【先輩】 こうやって、全部2pの幅で切ってください。

【輝明】 はい。

・・・・松田先生(都古ちゃん)を呼んでくる・・・・

【先輩】 何でああなの?

・・・輝明は定規を当てて、正確に2pの幅で切っている・・・

【都古】 2pに切るように言いました?

【先輩】 はい?言ったかもしれないけど、だいたい2pっていう意味で言ったに決まってるでしょ。

【都古】 彼の場合は、言葉通りに受け取ってしまうんです

【先輩】 は?

【都古】 カップラーメンなんかもお湯を入れて3分って書いてあったら、ほんっとに1秒の狂いもなく3分待ちますから。

【先輩】 ありえねぇ〜

【都古】 とにかく彼の行動は、脳の機能に問題があるせいで、彼自身のせいじゃありません。何でそんなこともできないんだとか、何でそんなこともわからないんだとか、彼を責めるようなことは言わないようにお願いします

【先輩】 はぁ〜い


「はぁ〜い。都古ちゃんに言われると納得しますね(笑)。彼のせいじゃなくて、脳の機能の問題なんですね。なんか自分と脳は別物なの?って思ってしまうます」

「それよりも、言葉通りに記憶したり、言葉通りに理解することって、なんかとても不便な感じですね。その言葉に含まれる周りの意味?・・・というか、言葉の裏にある意味が理解できないんですから。これならコミュニケーションのとりようがありません」

そいうですね。先ほどの常識、当たり前のことっていうのは、タカシ君が言うように 『言葉の裏にある意味』ということになりますね。どういう表現がふさわしいのでしょうか。『言葉に含まれる背景』『言葉と言葉の間の関係性』とか、そういった感じでしょうか。

他の場面も見てみましょう。先輩飼育係と輝明との会話です。

【輝明】 『チクッてんじゃねえよ』

【先輩】 はっ?何?

【輝明】 『チクッてんじゃねえよ』って三浦さん(先輩)が言いました。

【先輩】 あ〜、言ったかも。

【輝明】 言いました。

【先輩】 じゃあ、そうなんじゃない。

【輝明】 言いました。

【先輩】 はい、はい、言いました!

【輝明】 どういう意味ですか?

【先輩】 『チクッてんじゃねえよ』の意味?

【輝明】 はい。

【先輩】 わからないの?

【輝明】 わかりません。

【先輩】 はぁ〜、疲れるな〜

【輝明】 そこのイスで休憩してもいいですよ

【先輩】 そういう意味じゃねぇんだよ(怒)!

【輝明】 ・・・・・・

【先輩】 はぁ〜〜〜〜〜〜〜


とてもぎこちない会話ですね。輝明は話の流れをうまく理解できません。先輩の言った『疲れるな〜』という意味を『体が疲れている』という意味で捉えています。当然この場合は、輝明に対して疲れると言ったはずなのに、そういうことが理解できません。

「まるでコンピュータと話しているみたいですもんね」

「すべて具体的に説明しないと理解ができないですね。これって、普段しゃべっている僕たちの会話が抽象的な会話だってことですよね?」

コンピュータの脳とわたしたちの脳の違いが分かってきたでしょうか。

「正確に記憶するコンピュータの脳は、言葉を言葉通りに記憶したり、言葉通りに理解するから、抽象的な会話ができないっていう欠点がある。こういうことですね」

「でも抽象的っていまいちよくわからない・・・」

前回も同じようなことを言っていましたね。 『抽象的』ってどういう意味なのか?普段何となく分かっているつもりで使っているようですが、多くの人は『具体的』の反対の意味という理解しかできていないようです。

「でも具体的の反対って意味でだいたい伝わりますよ。間違ってはいないですよね」

そうですね。間違いではありません。ただ、ここではこれからのお話をもっとよく理解していただくために、『抽象的』の意味を深く考えてみたいと思います。

『抽象的』って言葉から何をイメージしますか?

「ピカソの絵。なんだかよくわからないような絵のことを抽象画っていうんですよね」

「以前読んだコーチング関連の本に書いてあったことを思い出します。『何やってんだ!もっと考えて動けよ』とか『まだまだだな。もっとがんばれよ!』のようなコーチングでは意味がない。もっと具体的に『何がだめなのか』『何がまだまだなのか』『何をもっとがんばるのか』ということを指導しないといけないとという内容でした。たしかに抽象的な指導ではいけないなと思いますけど、ついつい言ってしまいます。これくらい言っている意味がわかるだろ、って思ってしまうこともよくあります」

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たしかにビジネス書などを読むと、そのようなことが書いてありますね。何となくかっこいい言葉を並べた、見た目はしっかりしているけれども、抽象的で具体性に欠ける資料やプレゼンテーションではいけない。ダラダラと長い説教よりもひとつの具体的な提案だ、とか。

たとえば、『お前、バッティングがまだまだだな』では抽象的過ぎて意味がありませんよね。

『お前のバッティングでは、速い球に全然ついていけないぞ』。これは少し具体的になりました。でもこれでは選手に劣等感を与えてしまうだけです。

コーチならどのように言いますか?

「まあ、個人個人によっても違ってきますが、一般的にこういうのはどうでしょう。『もっと重いバットでスイングする練習をもっと取り入れてみたらどうだろう。そうすればスイングスピードも上がって、速い球にも対応できるようになる』」

すごくいいですね。選手が劣等感を味わうこともないですし、何よりこれから何をしたらよいのかが明確です。バッティングが今よりもよくなるという希望が見えてきます。

「ということは、抽象的なものはピカソの絵のように分かりにくいからよくないってことですか?」

「それならここでの話は具体例が多くて、難しい内容でもとても簡単に理解することができます」

ありがとう、とてもうれしいことを言ってくれますね。それにしても、抽象的という言葉は、否定的に捉われてしまう傾向が強いようです。

これには、抽象的という言葉がよく理解されていないことが原因のひとつだと思います。具体的という言葉の反対としての理解しかないために、具体的が『よいこと』だとした場合に、反対の抽象的は『よくないこと』と端的に捉えられるのかもしれません。でもよく考えてください。輝明との会話のように、抽象的な会話ができないと、ちょっとした会話でもとても疲れるものになってしまいます。

抽象的とはどういうことなのかをもっとよく知ることで、なぜ具体的・抽象的がよいのかもしくは悪いのか、どういう場合によいのか、そもそもどういう理由でよいのかを理解することができると思います。

「抽象的なものもピカソのように行き過ぎるととてつもない評価を受ける(笑)。これはちょっと違うかな・・・。で、抽象的って簡単に言うと何なんですか?」

簡単には説明できないから、多くの人が分かっていないのだと思いますよ(笑)。では、辞書では何と書いてあるのでしょうか。

(1)概念的で一般的なさま。
「現象を―にとらえる」
(2)事物を観念によって一面的にとらえ、実際の有り様から遠ざかっているさま。
「―な説明に終始する」
⇔具象的            (goo辞書より)


1 いくつかの事物に共通なものを抜き出して、それを一般化して考えるさま。「本質を―にとらえる」
2 頭の中だけで考えていて、具体性に欠けるさま。「―で、わかりにくい文章」           (Yahoo!辞書より)


このように書いてありますね。分かりましたか?

「まったく」

「一般的とか一面的にって書いてあるので、『大まかに』ってこと?」

次回、抽象的とは何なのかについて一緒に考えてみましょう。

言葉通りに記憶しない脳

前回までのお話はコチラ→【変化に対応した脳の柔軟さ】

人とうまく接するためには、完璧な記憶では役に立たない?

さて、前回はあるドラマから引用したテストをみなさんにもおこなっていただきました。まだテストの答えは言っていませんでしたね。今回はその続きからお話したいと思います。

「いろいろ考えてみたんですが、やっぱりなんのドラマかわかりませんでした」

そうですか。有名なドラマなんですよ。主演はSMAPの草g剛で、先天的な障害から10歳児程度の知能までしか発達しなかった31歳の自閉症の青年、大竹輝明を演じたドラマです。

「あ〜、『僕の歩く道』ですね!あの僕道シリーズは大好きで3部作全部見ました」

「僕も見ました。知能は劣っているけど、記憶力はすごいんでしたよね。ツール・ド・フランスの歴代優勝者をすべて記憶していたはずです。でもこんなテスト、何話にありました?」

第1話の一番最初です。このテストからドラマはスタートしています。輝明(草g剛)のカウンセラー( 加藤浩次 )が、輝明におこなったテストです。

「わたしはそのドラマ見ていませんね。すぐにレンタルして見た方がよいでしょうか?」

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そんなこともあろうかと、DVD持ってきました。お貸ししますよ。これから、このドラマを通してお話していきたいと思いますので、ぜひご覧になってください。

もうお分かりだと思いますが、輝明(草g剛)は記憶力がとてもよいので、このテストには難なく答えていきます。では、答えが何だったのか、DVDを見ていきましょう。

今から、わたしの話す言葉を覚えてください。
1分後にあなたの記憶を確認します。

すずしい

南極

冷凍庫

暖かい

天気

気持ちいい



気温





マフラー

手袋

コート

北極



(1分後・・・・)

記憶した中に、『あたたかい』はありましたか?

ありました。

『天気』はありましたか?

ありました。

『北極』

ありました。

『寒い』

ありません。

そうですね。

正解ですか?

はい。多くの人はたいてい『寒い』をあったと答えてしまいます。

どうしてですか?  (プチッ 停止)


「ここで止めるんですか・・・」

「でも、やっぱり『寒い』はなかったですね。自信なかったんですよね」

さあ、考えてみましょう。どうして多くの人はたいてい『寒い』をあったと答えてしまうのでしょうか?

「それは『北極』とか『冷凍庫』とか寒い感じの言葉が続いているからだと思います」

わたしたちの脳はどのように言葉を記憶しているのでしょうか?

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脳は、ただ情報をそのまま保存しておくだけ倉庫のような存在ではありませんし、コンピュータのメモリのようにそのまま正確に保存しておけるような存在でもありません。

「でもこの輝明は、機械のように保存しておける脳を持っているから、『寒い』を騙されずに正解することができたんですね」

「これってすごいことじゃないですか!学校のテストなら間違いなく100点取れますよ」

暗記の問題ならそうかもしれません。ただ、ずば抜けた記憶力を持っている輝明(草g剛)は、日常の生活の中では多くの困難にぶつかります。

「コミュニケーションをとるのが大変なんですよね。いいものがあれば、悪いものもあるってことですね」

それだけ・・・優れているものと劣っているものという見方だけでは、少しもの足りませんね。わたしたちの脳が、なぜコンピュータのように正確に記憶できるものではなく、あやふやであてにならないような記憶の仕方をするように作られてしまったのか、を考えてみたいのです。何か意味がありそうだと思いませんか?

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「それならコミュニケーションをうまくとるため、だと思います」

では、どうして正確に記憶する脳だとコミュニケーションをとるのが難しくなるのですか?

「それは・・・どうしてでしょう」

DVDの続きを見ていきましょうか。ここにあるヒントがあります。注意してみてくださいね。

多くの人はたいてい『寒い』をあったと答えてしまいます。

どうしてですか?

雪・冬・南極など『寒い』に置き換えながら記憶しているからです
でも、輝明さんの場合、言葉通りに記憶しているようです。

輝明さん、最近どうですか?

・・・・最近どうですか?・・・・ (プチッ 停止)  


ここに2つのヒントがありますね。

「『寒い』に置き換えながら記憶しているってとこですね」

わたしたちの脳では、そのような置き換えがおこなわれていると言っていますね。輝明の脳では、言葉を言葉通りに記憶している

「言葉通りに記憶するのは、コンピュータの脳ですね。わたしたちの脳は何かに置き換えながらか・・・」

もうひとつのヒントは、カウンセラーの『最近どうですか?』という質問に答えられないところにあります。

「これは答えるための言葉を選べないことが原因なのでしょうか?それとも質問そのものの意味がわからないのでしょうか?」

それでは、幼い頃からずっと輝明を守り、サポートしてきた都古(香里奈)の言葉を紹介します。周りの人たちに、輝明とうまく接してもらうために何度もこの言葉を言い続けます。

会話は具体的にお願いします。抽象的な会話は、さけてください


「抽象的なことが理解できないか・・・。でも抽象的ってどういう意味?」

「それは具体的の反対じゃないの?」

「『おおざっぱ』ってこと?」

途中ですが、続きは次回への持ち越しにしましょう。今回は『コミュニケーション』という言葉が出てきましたので、それに関連して最後にひとつお話したいことがあります。

こちらの写真を見てください。よく注意して見てくださいね。記憶力のテストかもしれませんよ(笑)。

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「動物の写真ですね。何かのグループ分けですか?」

次に、こちらを見てください。今度は人間です。2つの写真で何か違いがありませんか?

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といっても、違うことだらけですよね(笑)。に注目しましょう。動物の目と人間の目に何か大きな違いがあります。

「動物の目は丸っこくて、人間の目は楕円、横に長い感じです」

他には?

「動物の目は顔の横に付いてるかな」

それは以前お話しましたね。視野を広く保てるように目の位置が顔の側面に付いているのでした。(コチラを参考に→【音を手がかりに、見えないものが見えてくる】)でも、クマの目は人間と同じように顔の前方に付いていますよ。他には?

白目ではないですか?人間には白目がありますが、動物の目は全部真っ黒いようです」

そう!白目です。白目は人間にしかありません。動物の中で唯一人間だけに白目があるのです。何のために?

「話の流れから、コミュニケーションをとるためなんですよね」

質問を変えましょう。なぜ白目があるとコミュニケーションがうまくとれるようになるのですか?

「目は口ほどにものを言う!」

そういうことわざがありますね。人間がいかに目でコミュニケーションをとるのかをよくあらわしている言葉ですね。アイコンタクトという言葉もあります。

さらに質問を変えましょう。なぜ黒目と白目なのでしょう?なぜ白と黒なのか?

「はっきりとするから。周りが白で中が黒だと、黒目がはっきりします」

そうです。コントラストの違いがはっきりとします。そのために瞳の動きや変化が相手によく分かります

「白目の役割は、瞳をはっきりとさせて相手に伝えるためにあるんですね。コミュニケーションをとるために」

人間だけが、このように目でコミュニケーションをとる手段を発達させてきたわけですね。

ところで、動物はコミュニケーションをとらないのでしょうか?

「動物だってコミュニケーションをとると思いますよ。群れで生活したりしているし」

それなのに、なぜ動物には白目がないのですかね?

「・・・・」

「動物は人間と違って、いつも外で生活しているから・・・目全体が黒い方がまぶしさをおさえられる・・・」

う〜ん。人間は相手に伝えたいために瞳をはっきりとさせている。でも他の動物は、絶対に相手に伝わってはいけないのです。

「そうか!周りは敵だらけだからか!」

そうです。瞳の動きや変化から、敵に次の行動や心の動揺が読まれてしまうわけにはいきません。命がかかっていますから。そのために白目ではなく、黒目の周りを濁らせて曖昧にしているのです。

「じゃあ人間は、周りにいる人が敵じゃなくて仲間だと思っているんですね。人間に生まれてよかった(笑)」

目の位置が顔の側面にあって、視野を広く保つのも、外敵から身を守るためでしたよね。ですから襲われる心配の少ないクマや人間は、目の位置が前にあるのです。

「何でもちゃんと意味があるですね」

「それならクマにも白目があってもいいと思いますけど」

敵から襲われる心配は少ないかもしれませんけど、相手を襲うときに目の動きを読まれてしまったら、逃げられやすくなります。それでは食べていく、生きていくことができません。

「そうか・・・」

時間がきましたので、また次回お会いしましょう。

余計なことはしなくていい

前回までのお話はコチラ→【変化に対応した脳の柔軟さ】

『すぐに答えを教えてほしい』では、何も学ぶことはできない・・・。

今回は『論語』の宿題からでしたね。もう一度読んでみましょう。

「子曰く 憤せずんば啓せず。非せずんば発せず。一隅を挙げて 三隅を以って反(かえ)らざれば 則(すなわ)ち復(また)せざるなり」


調べてきたでしょうか?

「今度こそしっかり調べてきました。これは孔子が弟子に教えるときの教育の考え方を示したものです。

自分の力で進んで、今一歩というところまで来てもたもたしている、そういう相手でなければ、ヒントを与えてやらない。言いたことは頭にあるのだが、うまく言えないで、もどかしがっている、そういう相手でなければ、助け舟は出してやらない

という意味です。要するに教育とは、自発性のある人に少しだけ手を貸してあげるだけでよい、ということを言っています。教育というのは教えるということではないということだそうです。どうでしょう?今回は完璧ですよね」

すばらしい!よく調べてきましたね。孔子が言うように、教育には『教える』という考えを捨てなければならないのかもしれません。少し手を貸してあげるだけでよいのです。

そして、何よりも本人に学ぶ姿勢がなければならないと言われています。時間的な制限から、教師が『すぐに分かってほしい』『すぐにできるようになってほしい』と思う気持ちはもちろん理解できます。しかし、すぐに答えを教えるような教育の仕方では、本当の意味では役に立たないものです。逆に、『すぐに答えを教えてほしい』『手っ取り早く解決したい』という生徒にも、何を教えても役には立ちません。前回の実験からも分かるように、受動的な姿勢では理解できないのです。自分の力で進む、能動的な姿勢があるからこそ、ほんのちょっとの助けが、とても大きな意味を持つのです。

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こどもに自転車の乗り方を教えるときのことを考えてみると分かりやすいかもしれません。こどもに自転車をどのように教えますか?

「どうって・・・最初はすぐに転んでしまうから支えてあげる。それだけでこどもなんてすぐに乗れるようになるんじゃないですか?」

「教えるのは自転車の乗り方よりも安全に乗ることだと思います。道路のどこを走るかとか、車が走ってないかよく確認することだとか」

そうですね。教えるという態度ではなく、そっと支えてあげる、手を貸してあげるだけで十分ですね。何よりこどもには、『自転車を乗れるようになりたい』『自転車に乗ってみたい』、という自発性や好奇心があります。そのおかげで、自転車に乗れるようになるまでの時間もわずかで済んでしまいます。早く習得してもらうために、『自転車の乗り方はこうだ』と一から説明する必要はありません。頭はまっすぐ前を見て視線は遠くに、右足は・・・左足は・・・、手は力を入れずに軽く握って・・・などと説明書のようにする必要はありません。『自転車に乗ってみたい』というこどもに、倒れないように後ろから少し支えてあげるだけでいいのです。

カール・ロジャースを知っていますか?

「いいえ」

「有名な心理学者だったと記憶していますが」

そう。アメリカの臨床心理学者で、クライアント中心療法で知られています。そのカール・ロジャースも学習に対してこのように言っています。

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意味のある学習は、学習する主題を学生自身が自分の目標と関係があると感ずる時に起こるものである。


個人が何かを達成しようという目標があり、目標に関係があるものを学習するとき、その学習は意味を持ち、非常に速い時間で自分のものにしていくということをいっています。

「なるほど〜。早く学んで欲しいからといって、余計なことをする必要はないんですね。むしろ逆効果になるかもしれませんね」

では、『記憶』というテーマに話をもどしていきたいと思います。

ところで、記憶力がよいとは、どういうことをだと思いますか?

「それは・・・人よりも早く記憶することができるってこと?頭がいい人だと思いますけど」

「やっぱり勉強ができる人は記憶力がいい人が多いと思います」

「人と一回会っただけで、その人の服装や髪形、どんなアクセサリーをしていたとかどのような色の服を着ていたとか、細かいところまで覚えることができる人がいますね。勉強のように言葉を記憶するだけでなく、このように視覚的なところまでの記憶も含まれていると思います。それに音の記憶だったりと、もっと幅広いものだと思います」

うん。まずはテストをしてみましょう。

「また100円玉の実験のように、細かいところまで覚えているかってやつですか?」

まあ、まずは聞いてください。

今から、わたしの話す言葉を覚えてください。
1分後にみなさんの記憶を確認します。

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すずしい・・・

南極・・・

冷凍庫・・・

暖かい・・・

天気・・・

気持ちいい・・・

雨・・・

気温・・・

氷・・・

冬・・・

マフラー・・・

手袋・・・

コート・・・

北極・・・



(1分後)

覚えましたか?

「これくらいなら・・・」

では確認します。

記憶した中に『あたたかい』はありましたか?

「あった!」

では、『天気』はありましたか?

「ありました」

『北極』は?

「それもありました」

『寒い』は?

「ありました」

「これはちょっと自信ないけど・・・あったと思います」

コーチはどうですか?

「あったと思います」

そうですか・・・。

「そうですかって、答えはどうなんですか?」

答えを言う前に、今のテストはあるドラマからそのまま引用したものです。何のドラマなのか分かりますか?

「・・・・ヒントください!」

記憶力に優れた人のことを描いたドラマ、これがヒントです。

「それだけですか?もっと出演は誰かとかくださいよ」

やはりもったいないので、この答えは次回にしましょう(笑)。

「またそんなことを・・・」

『自分の力で進んで、今一歩というところまで来てもたもたしている』そういう相手でなければヒントは与えてあげないのでしたよね(笑)。すぐに答えを教えて欲しいという態度ではいけませんよ。

「はい・・・そうでした」

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